個人の責任(主体性)の一例

主体性という言葉で、自分で判断することばかり強調されることが多いと思う。判断した後、その判断に責任を負うということも意識してほしい。
たとえば、発達障害という診断名を受け入れるなら、それに伴う責任も果たしてほしい。責任と言っても、大したことではないです。発達障害と向き合って、自分の症状とどう向き合うかを考えると言うこと、やっぱり私発達障害じゃないと思うときもありです。しかし、それなりの自分の中での整理をしてほしい。1カ月毎に自分の中の診断名が異なるようでは、付き合わされる周りの人間も疲弊するだろう。ただ、責任は重く、自分で判断したくない時もあるかもしれません。でも、自分が診断した責任を負うことで人生の主導権が見えてくることもあります。自分自身の工夫方法も真剣に考えます。

・自分が主体となること(自分の責任)
自らの人生でありながら、自分が自分の主体となって生きるというのは、なかなか難しいことのようです。もし、あなたの感覚や感情は信頼できないというメッセージをこれまでに受け取ってきたとしたら、自らの声を聴き、その声を尊重した選択をするのには、かなりの勇気が必要かもしれません。
また、自分自身への否定的な語りや、癖になっている反応のパターンが、その時々に対応を選ぶ自由の妨げになっていることもあるでしょう。立ち止まって主体性に意識を向けてみると、そこに対応を選ぶ自由があることに気づくでしょう。
自分が何を感じているかを感じ、自分にとって何が大切なのかを知り、自らの判断で対応を選ぶ力です。さまざまな環境からの制約はありつつも、自分で選択するという責任を引き受けることで、人生の主導権を自分の手に取り戻すことができます。

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個人の責任(主体性)の僕の一例を書いてみます。
僕の場合、自分で意思決定をすることをさしています。

過去よくあったのが学校の先生や親の言うとおりにして、失敗した時、自分は納得できなかったことです。
学校の先生や親は偉い。そして、私のことを知っている。だから学校の先生や親に従えばいいはずだと私自身が思っていたんです。
でも実際は自分ができること、できないことは学校の先生や親にはわかりません。だから失敗した時、自分が納得できなかったのだと思います。そして先生や親に怒りを覚えた私は先生や親の言うことの逆をしていました。これも個人の責任ではないと私は思います。

自分の専門家は自分なのです。自分の苦手なものや得意なものを把握し、自分を大事にした上で自分ができるようにしたいことを意思決定することが重要かなと思います。

過去のいじめのトラウマがあり、周りのことを意識しすぎて、自分の個人の責任(主体性)を行使できなかったこともあります。
個人の責任(主体性)を行使しますと、またいじめなどの状態になるのではないかと思っていました。

私の自尊心が低く、周りがそれだけそういう風にすべきだというなら、そっちが正しいと思って自分の個人の責任(主体性)を行使できなかったこともあります。

個人の責任(主体性)は自分で決める。それで実行するときはサポートを受けていいんです。もちろん失敗してもいいんです。
失敗したときでも、失敗は新しい自分、自分の苦手な部分に出会える機会なんです。
自分の専門家は自分なのです。苦手なものや得意なものを把握し、支援をしてもらったりしながら自分ができるように意思決定を行う。
私は個人の責任(主体性)をそう解釈しています。

皆さんの個人の責任(主体性)のお話をお聞きできればと思っています。

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