日本の精神科医療の理想と現実
お薬や入院の期間について、国が示す「こうなったらいいな」という考えと、実際にこころの病院でおこなわれていることとのあいだに、だんだんと大きな開きが生まれているように感じています。
その理由は、ひとつだけではなく、いろんな背景が重なり合っていることが、これまで見てきた資料から伝わってきました。
みんなで見つめてみたい “開き” の理由
1.むかしからの流れ
むかしは「こころがつらいときは、家や社会から離して守るのがよい」と思われていました。
だから、長いあいだ病院で過ごすことが当たり前のようになってきたのですね。
法律も、入院や隔てることが中心に考えられてきた歴史があります。
2.現場での日々の工夫や苦労
少ない人数でたくさんの人を支えるしくみのなか、どうしてもお薬に頼る医療が生まれやすくなっています。
また、病院は「たくさんの人が入院していることで成り立つ」お金の流れがあり、
本当はもっと早く安心して家に帰れるはずの人が、なかなか退院できないこともあります。
3.家や地域の “受けとめる場所” の不足
病院を出たあとに安心してくらせる場所や、ささえてくれる地域のしくみはまだ十分とは言えません。
家族や本人が「家に帰るのはむずかしいかもしれない」と感じる場面も、たくさんあるようです。
4.“目の前の人を何とかしたい” という現場の気持ちと国の基準のずれ
毎日、目の前の人のつらさをなんとか軽くしてあげたい――。
そんなあたたかな思いから、お薬が続いたり、その人に合う方法やゆっくり話せる時間が持てないまま、
気づけば長く入院生活が続いてしまうこともあります。
5.社会や世界の考え方の変わり目
いま、社会は「ひとりひとりが自分らしく、まちでくらす」ことを大事にしようと動き始めています。
でも、現場にはむかしからの考え方や習慣がまだ根強く残っていて、なかなかすぐには変わらない現実もあります。
どうしてこんな“開き”が生まれるのでしょう?
国が「こうしていきたい」と考えていても、
長い間の習わしや、病院での日々のやりくり、家や地域での受けとめる力の不足、
そして現場で生まれる“今ここで困っている”という思いが、
複雑にからみあって、「国の基準」と「現場でのやり方」がどんどん離れてしまうことがあります。
いっしょに考えてみませんか?
この開きをうめるには、新しいやり方にチャレンジしてみる勇気や、
家族・地域・本人みんなで語り合い、支えあえる“つながり”が大切だと思います。
国や制度だけにまかせるのではなく、現場でがんばる人や、
生活する一人ひとりの「こうなったらいいな」という願いに耳をすませながら、
いっしょに「どうしたら、もっとよくできるかな?」と話せる場を増やしていきたい――
そんなふうに思っています。
これまでさまざまな資料を見てきて、
国が大切にしたいと考えている基準と、現場でおこなわれていることの間にある開きは、
「むかしの考え方やしくみ」「地域や家族の受けとめる力の不足」
そして「毎日の現場で生まれる苦労や悩み」などがいくつも重なっているからこそ、
生まれてきたものだと、あらためて感じています。
この開きを少しずつでも埋めていくために、
これからも、みなさんと一緒に考えあえたらとてもうれしいです。
理想と現実の乖離
ここでは、日本のこころの医療について、「こうありたい」と「いま現場で起きていること」のあいだにある思いがけない開きについて、みんなと一緒にじっくり見つめていきます。
データや会話をとおして、その奥にある「どうしてこうなるのか」という背景や、いまのしくみについても考えていきましょう。
ベンゾジアゼピン
理想:国の指針
短期・少量・単剤での使用を強く推奨。非薬物療法が第一選択。
現実:臨床現場
長期・多剤処方が「稀ではない」状況。1年以上の継続処方が1割超。
精神科入院
理想:国の指針
「入院中心から地域生活中心へ」。脱施設化を推進。
現実:臨床現場
国際的に突出して多い病床数と極めて長い平均在院日数(約270日)。
ベンゾジアゼピン問題
国の厳格なガイドラインにもかかわらず、なぜ日本ではベンゾジアゼピンの長期・多剤処方が続くのでしょうか。ここでは、その乖離の実態、リスク、そして国際的な比較を対話的に探ります。
国内の推奨と実態のギャップ
国は依存リスクを警告し、短期処方を推奨していますが、診療報酬データは長期使用の実態を示唆しています。下のグラフは、ガイドラインからの逸脱の一例を示しています。
国の主要な推奨事項
- ✓処方期間: 可能な限り短期に。漫然と継続しない。
- ✓用量: 必要最小限に。特に高齢者は低用量から。
- ✓多剤併用: 可能な限り避ける。依存リスクが増大。
- ✓非薬物療法: 薬物療法の前にまず試みるべき第一選択。
長期入院問題
国は「地域生活中心」への転換を掲げていますが、日本の精神科病院の平均在院日数は世界的に見ても極めて長いままです。何が患者の退院を阻んでいるのでしょうか。
平均在院日数(精神科病院)
269.9日
(2016年データ)
精神療養病棟の平均在院日数
1,198.1日
(約3.3年、2016年データ)
退院を阻む多層的な要因
長期入院は単一の理由ではなく、患者の症状、生活能力、そして社会や家族の受け入れ体制といった要因が複雑に絡み合っています。
国の目標:脱施設化に向けて
国は具体的な数値目標を掲げ、地域移行を推進しています。
316日以上
退院後1年間の地域平均生活日数目標(令和5年度末)
6%以上
福祉施設入所者の地域生活への移行率目標(令和5年度末)
根深い構造的問題
BZDの過剰処方や長期入院は、個々の医師の問題ではなく、歴史的経緯、経済的インセンティブ、法制度からなる「制度的トラップ」の現れです。
歴史的経緯:隔離収容の遺産
1900年 精神病者監護法
私宅監置を合法化。治療より管理・隔離を重視。
1950年 精神衛生法
私宅監置は廃止されたが、隔離収容の思想は精神科病院という形で存続。
1965年 法改正
ライシャワー事件を背景に措置入院が強化され、収容主義が加速。病床数が爆発的に増加。
現在
地域から隔絶された構造が全国に定着。
現代の実践を支える制度
精神科特例
一般科より少ないスタッフ(医師1/3, 看護師2/3)での運営を許可。低コストでの大量収容を可能にし、手厚いケアより薬物管理に依存する構造を生んだ。
診療報酬制度
歴史的に長期入院を前提とした制度設計。病床を埋め続けることが病院経営の安定に繋がる経済的インセンティブとなり、「社会的入院」を温存・助長してきた。
非自発的入院制度
国際的に見て極めて高い強制入院率(40%超)。特に「医療保護入院」は司法審査がなく、本人の同意なしでの入院を容易にし、長期入院への入り口となりやすい。
前進への道
構造的な問題を乗り越えるには、新たな治療パラダイムへの転換が必要です。ここでは、患者中心のケアを実現するための解決策と支援システムを紹介します。
非薬物療法の推進
薬物依存からの脱却の鍵。睡眠衛生指導や認知行動療法(CBT)を第一選択とし、薬に頼らない対処スキルを習得する。専門家の育成と診療報酬での評価が課題。
共同意思決定 (SDM)
医師と患者が対等な立場で情報を共有し、対話を通じて患者の価値観に沿った治療方針を「共に」決定する。パターナリズムからの脱却を目指す。
地域支援システムの構築
グループホーム(住まい)、ACT(包括的支援)、ピアサポート(仲間)など、地域で安心して暮らすための社会資源の整備が不可欠。病院から地域へのケアの移行を支える。
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