リカバリーにおける「トラウマ」の再定義
― 配慮するだけで終わらせないために ―
「トラウマに配慮する」が免罪符になるとき
近年、日本の支援現場でも
「トラウマに配慮する」「トラウマ・インフォームド」という言葉は広がっている。
しかし実際には、
- トラウマは過去の出来事
- 今はもう終わったこと
- 理解しているから大丈夫
と扱われ、
支援のあり方そのものがトラウマになりうる可能性は、ほとんど問われない。
当事者から見ると、
トラウマは理解されたことになっているのに、
安全になった感じはしない
という状態が起きやすい。
日本の現場で起きやすい「トラウマの矮小化」
日本では、トラウマが次のように縮小されやすい。
- 強烈な出来事だけがトラウマとされる
- 日常的な支配や無視は軽視される
- 制度や支援による傷つきは語られない
その結果、
- 強制
- 管理
- 否定
- 上下関係
による傷が、
「仕方なかった」「専門的判断だった」と片付けられてしまう。
これは、
トラウマを理解したつもりで、再生産している状態である。
リカバリーの視点で捉え直す「トラウマ」
リカバリーにおけるトラウマとは、
過去の出来事そのものではない。
それは、
- 自分の感覚が信じられなくなった経験
- NOと言えなかった記憶
- 決める権利を奪われた体験
- 安全でない関係が続いた時間
として、
今も身体や関係の中に残っているものである。
トラウマとは、
「弱さ」ではなく、
生き延びるために身につけた反応の記憶である。
トラウマ配慮と管理の決定的な違い
管理的な支援は、
- 落ち着かせる
- 混乱させない
- 想定外を起こさせない
ことを優先する。
一方、トラウマに配慮したリカバリーとは、
- 違和感を感じていい
- 怒りや拒否が出ても関係を切らない
- 同意のない介入をしない
安全を支援者の都合で定義しないことにある。
トラウマ配慮とは、
当事者を静かにさせることではない。
日本の現場で見落とされやすい「再トラウマ化」
日本では、次のようなことが再トラウマになりやすい。
- 理由を説明されない決定
- 記録のための質問の繰り返し
- 異議を「症状」と扱われること
- 「本人のため」という一方的判断
これらは暴力的に見えにくいが、
当事者の主体感を奪う行為である。
リカバリーの視点では、
再トラウマ化を防ぐことは、
症状管理以上に重要である。
支援者・制度に求められる責任
トラウマを前提にリカバリーを支えるなら、
支援者や制度には次の責任がある。
- 介入の理由と選択肢を共有する
- 同意を取るプロセスを省略しない
- 異議や拒否をリスク扱いだけにしない
- 支援が傷つきになっていないかを振り返る
トラウマ配慮とは、
常に正解でいようとすることではなく、
間違えたときに修正できる関係を保つことである。
トラウマとリカバリーの関係
リカバリーとは、
トラウマを「克服」することではない。
それは、
- トラウマ反応が出ても排除されない
- 過剰反応として切り捨てられない
- 説明しなくても尊重される
そうした経験を通して、
再び安全を学び直していく過程である。
まとめ(⑦の結論)
リカバリーにおけるトラウマとは、
過去の出来事ではなく、
人との関係や制度の中で
安全が失われた記憶。
である。
トラウマに配慮すると言いながら、
管理や同意なき介入が続くとき、
リカバリーは成立しない。
だからこそ、
トラウマは理解する対象ではなく、
支援のあり方を問い続ける基準でなければならない。
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