「助け」を再発見する旅(相互性)
こんにちは!ここでは、意図的なピアサポートにおける「助け」の新しい形を探していくよ。「助ける人」と「助けられる人」という関係から、もっと自由になってみよう。
【まずはここから】「助ける」って、一方通行じゃないんだ
(シーソーを思い浮かべながら、イメージでつかんでみよう)
- 助け合いは、まるでシーソーみたい 公園にあるシーソーを想像してみて。片方だけがずっと下で、もう片方がずっと上だと、楽しくないよね。お互いに上がったり下がったりするから、楽しい。意図的なピアサポートの関係も、そんな風にお互いに与えたり、受け取ったりするバランスをたいせつにしているんだ。
- 「助けられるだけ」の役割から、「与えることもできる」自分へ これまでの経験で、「自分はいつも助けてもらう側だ」と感じてきたかもしれない。でも、意図的なピアサポートでは、誰もが与えるものを持っていると信じているんだ。あなたの経験や、ただそこに居てくれること自体が、誰かの力になることもある。
- 「専門家」と「患者」じゃない関係 ここでは、どちらかが上でどちらかが下、ということはないよ。「助ける」というのは、お互いが対等な立場で、一緒に学び、一緒に成長していくプロセスのことなんだ 。
【もっと知りたい人へ】一緒だからこそ、生まれる力
(「助けられる側」「助ける側」という役割が、わたしたちにどんな影響を与えてきたか、そして、そこからどう自由になれるか、一緒に考えてみよう)
1. 「助けられる側」の役割から、抜け出してみよう
これまでの支援の場で、こんな風に感じたことはないかな?
- いつも自分のことばかり話している: 周りの人はいつも「調子はどう?」と聞いてくれて、わたしたちは自分の問題について話すことが求められる 。
- 「お返し」をする機会がない: いつも受け取る側でいると、だんだん「自分には人にあげられる価値なんて何もないんじゃないか」と感じてしまうことがある 。
- 「消費者(コンシューマー)」でいること: いつもサービスを受け取るだけで、何かをお返しする可能性がないと、自分はただ消費するだけの存在のように感じてしまうかもしれない 。
意図的なピアサポートは、この一方通行の関係を壊そうとする試みなんだ。「必要とし、必要とされる」「気遣い、気遣われる」ことを知るのは、とても癒やしになる経験なんだよ 。
2. 「助ける側」のわなにも、気をつけてみよう
逆に、「助ける側」に立った時にも、気をつけたいことがあるんだ。
- 「何かしてあげたい」という気持ち: 誰かのために何かをしてあげて、助けになっていると感じるのは、とてもいい気持ちがするし、自分に力があるように感じられるよね 。
- 昔の「助け」の形に戻ってしまう: でも、それが「相手のために何かを解決してあげること」だけになると、昔ながらの支援者と利用者の関係に戻ってしまうかもしれない 。それは、相手から「自分でできる力」を、知らず知らずのうちに奪ってしまうことにもなりかねないんだ。
ピアサポートで目指すのは、「地域での”普通”の関係」に近いものなんだ 。そこでは、誰もがずっと与える側だったり、受け取る側だったりすることはないからね。
3. じゃあ、お互いに対等な関係って、どんな感じ?
それは、**「関係そのものを、ふたりでケアしていく」**という感覚に近いかもしれない。
- お互いが学び合っている: どちらか一方だけが「教えている」のではなく、お互いの経験から何か新しいことを学んでいると感じられる 。
- 両方のニーズがたいせつにされる: どちらか一方のニーズだけが満たされるのではなく、「ふたりにとって、この関係がうまくいくためにはどうしたらいいだろう?」と一緒に考えることができる。
- 正直な気持ちを伝え合える: もし関係の中で何か居心地の悪さを感じたら、それを正直に、でも敬意をもって相手に伝える。それは、どちらか一人が我慢するのではなく、関係をケアするためのたいせつな一歩なんだ。
さいごに
これまでの「助け」のイメージが、少し変わったかな?
「助けられる専門家」になる必要もないし、「助ける専門家」になる必要もない。ただ、ひとりの人間として、もうひとりの人間と出会い、関係を育んでいく。
その中で、お互いが癒され、成長していく。これが、ピアサポートが目指す「相互性」なんだ。一緒に、この新しい関係を育てていこうね。
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