リカバリーにおける「責任」の再定義
― 管理ではなく、関係を保つための責任 ―
リカバリーにおける責任とは、
当事者が常に自立し、
適切に判断し、
期待される行動を取り続けることを意味しない。
むしろ日本の現場では、
「責任」という言葉が、
支援者の安心や業務の都合のために、
当事者を管理しやすくする方向で使われてきた歴史がある。
その結果、
リカバリーの名のもとに、
- 揺れないこと
- 迷わないこと
- 逸脱しないこと
が求められ、
人として自然な反応や調整が「無責任」「甘え」として扱われてきた。
リカバリーの視点で捉え直す「責任」
リカバリーにおける責任とは、
状態を無視して役割を果たすことではない。
それは、
- 今の自分がどのような状態にあるかに気づくこと
- 無理を続けることで、リカバリーが損なわれると判断すること
- 一人で抱え込まず、関係や支援を調整すること
を含んだ、状況に応じた判断である。
一時的に決められないこと、
支援を厚く求めること、
判断や役割を分担することは、
リカバリーを妨げる行為ではない。
それらは、
リカバリーを長く続けるための責任ある選択である。
個人にだけ責任を背負わせない
日本の現場では、
リカバリーがうまく進まないとき、
その理由が当事者個人の「責任」や「意欲」に回収されやすい。
しかし実際には、
- 選択肢が限られている
- NOと言いにくい関係性がある
- 失敗が許されない空気がある
といった環境そのものが、
リカバリーを困難にしていることが多い。
リカバリーにおける責任は、
当事者一人に集約されるものではない。
支援者・制度の責任を含めて考える
リカバリーのプロセスにおいて、
支援者や制度にも明確な責任がある。
それは、
- 当事者を管理しやすくする方向に流れていないかを点検すること
- 「本人のため」という言葉で、支援者側の不安を正当化していないかを振り返ること
- 当事者が迷い、揺れ、立ち止まっても関係を切らないこと
- 記録や評価のために、当事者の複雑さを単純化しないこと
である。
支援者の責任とは、
当事者をコントロールすることではなく、
管理に傾きやすい構造の中で、関係を保ち続けることにある。
「甘え」と区別されるべき責任のあり方
支援を求めることや、
判断を一時的に委ねることは、
責任放棄ではない。
それは、
- 状態の悪化を防ぐ
- 孤立を深めない
- リカバリーを中断させない
ための、調整としての責任である。
甘えとは、
自分や他者の状態を顧みず、
関係を消費することである。
一方、リカバリーにおける責任とは、
関係が壊れない形を選び続けることである。
リカバリーの中で責任は変化する
リカバリーの過程では、
責任の持ち方も、重さも、形も変わる。
- 支援を多く必要とする時期
- 判断を共有する時期
- 再び自分で担える部分が増える時期
どの段階も、
リカバリーの一部であり、
優劣はない。
責任は、
最初から果たすべき条件ではなく、
関係の中で育ち、引き受け直されていくものである。
まとめ(この論調での結論)
リカバリーにおける責任とは、
管理されやすくなることではなく、
管理に飲み込まれない関係を選び続けること。
それは、
当事者だけの責任ではなく、
支援者、制度、社会が
共に引き受ける責任である。
この視点が抜け落ちたとき、
リカバリーは支援の言葉をまとった
「扱いやすくなるための訓練」に変わってしまう。
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