東京でウェルネスとリカバリーをお互いに学ぶ

SAMHSAのウェルネスに関して思うこと

当事者の視点からの批評

――SAMHSAのリカバリーの文章が「希望的であるがゆえに、こぼれ落ちているもの」

1. 全体を読んだ第一印象

とても前向き。とても整っている。
でも、しんどかった時間の“生臭さ”がほとんど出てこない。

この文章は、
・リカバリーを知らない人
・これから支援に関わる人
・制度や現場をよくしたい人

には、すごく分かりやすい。

でも当事者として読むと、
「そう言えたら楽だけど、そこに行くまでが一番つらかったんだよ」
という気持ちが、何度も湧いてくる。


2. 「新しい自分へ進む」という言葉の明るさが、時に暴力になる

真のリカバリーとは、元の場所へ引き返すことではなく、新しい自分へと「進む」プロセス

これは、回復がある程度進んだあとに振り返れば、確かにそう。

でも当事者の多くは、最初こう感じている。

この文章は「進む」ことを希望として描いているけれど、
立ち止まること・倒れること・戻ること
あまりにも軽く扱われている。

当事者の時間感覚は、
ロードマップよりも、もっと歪で、遅くて、混乱している。


3. 「成長」という言葉が、無意識に“できていない自分”を作る

「完治」から「成長」へ
リカバリーはプロセスである

ここも、一見やさしい言葉だけど、
当事者の心にはこう響くことがある。

実際には、
何も学べなかった時期
何も意味を見いだせなかった時期
ただ耐えていた時期

こそが、いちばん長く、いちばん苦しい。

この文章は、
「苦しみが素材になる」という語り方をしているけれど、
素材にすらならなかった時間をどう扱うかが書かれていない。


4. 「非線形だから大丈夫」と言われる側のしんどさ

セットバックは成長の自然な一部
足踏みは調整期間

理屈としては正しい。
でも当事者としては、正直こう思う。

「それを“成長”だと思えるまでが、地獄だった」

非線形性を語るなら、
意味が見えない期間の孤独と絶望も、
ちゃんと同じ重さで言葉にしてほしかった。


5. ピアサポートの描かれ方が、少しきれいすぎる

同じ目線で山を登るガイド
希望の継承

これは理想としては、その通り。
でも当事者としては、別の現実も知っている。

ピアは光の存在である前に、
同じように揺れる生身の人間。

この文章は、
ピアの力を強調するあまり、
ピアが傷つく構造や、燃え尽きる危うさに触れていない。


6. 「本人主導」が、やっぱり一番引っかかる

自分の人生のハンドルを握り直す
自己決定こそが基盤

これを読んで、当事者は思う。

「そもそも、ハンドルを奪われていた理由は何だった?」

そこへの言及がないまま
「握り直そう」と言われると、
自己責任の匂いがどうしても残る。

当事者の回復は、
「ハンドルを握る力」を取り戻す以前に、
奪われた経験をどう扱うかが大きなテーマだった。


7. この文章で一番足りないもの

「うまくいかなかった回復」の尊重

この文章は、全体として
「うまくいくリカバリー」を前提にしている。

でも現実には、

が、たくさんいる。

当事者の視点から言うと、
「うまくいかなかった回復」も、回復の一部

それを包み込む言葉が、ここにはまだ足りない。


まとめ:当事者として正直に言うなら

この文章は、

でも、当事者の実感としては、

「少し先を歩いている人の言葉」ではあっても、
「どん底にいる人の隣で出てくる言葉」ではない。

もし当事者の視点を、もう一歩入れるなら、
私はこう付け加えたい。

ウェルネスとは、
意味を見いだせない時間を
無理に意味づけしなくてもいい状態のこと。

それが書かれたとき、
この文章はもっと深く、
本当に当事者のものになると思う。

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