東京でWRAPをお互いに学ぶ

「心が壊れそう」は、あたらしい自分への合図かもしれない

仲間の支え(ピアサポート)がそっと照らす、クライシスの越え方

世界が崩れるように感じるとき

足もとが割れるような不安。手に負えない痛み。
「わたしなんて、生きている値打ちがない」とまで思えてしまう夜。
そんな心のクライシスに、わたしたちはだれもが出会うことがあります。

そのとき、社会から教えられてきた型どおりの考えに流されやすくなります。
「自分はおかしい」「壊れてしまった」「これは病気だ」――。
けれど、もしこの「崩れ」が、病の悪化ではなく、あたらしい自分への扉だとしたら?

「病気」という決めつけが遠ざけるもの

診断の名が助けになるときもあります。
一方で、決めつけが重荷になり、「あなた」という人が数字や記録の束にすり替わってしまうこともあります。
物語が「わたしはこう感じている」から「わたしは◯◯という病気を持っている」へ。
その小さな言いかえが、主体性をそっと取り上げてしまうことがあります。

見方をひらく:クライシスは成長の芽

ここで見方を少し変えてみます。
クライシスは、あなたが壊れているしるしではなく、成長と変化の芽かもしれない。
受け身の「起こること」から、能動的に「通り抜けていく道」へ。
真の健やかさとは、痛みがないことではなく、痛みを抱えながらも学び、しなやかさとつながる力を育てていくこと。もとの自分に戻るのではなく、経験を糧に“あたらしい自分”を編みなおしていく――そんな歩みです。

つながりの力:仲間の支えという「いやしの土」

仲間の支え(ピアサポート)は、やり方の道具箱というより「文化」に近いものです。
上下ではなく、対等にたがいの知恵を持ち寄る関わり。
だれかを「直す」作業ではなく、ふたりの間に生まれる関係そのものが、いやしの土になります。
答えは相手の外ではなく、ふたりで語り合う物語の中から芽を出します。

クライシスにそっと寄りそう「6つの手立て」

1)相互によりかかれる場をつくる
助ける側・助けられる側という役割を超え、弱さを見せ合える安全な場をいっしょに育てます。

2)大きな感情を歓迎する
強い怒りや深い絶望を、追い払う対象ではなく「大事な知らせ」として受けとめます。
「この気持ちは、何を伝えようとしている?」と静かにたずねます。

3)問いを変える
「どこが悪いの?」ではなく、「何があったの?」と聞く。
その一言が、記録ではなく“人の物語”への扉を開きます。

4)物語を分かち合う
「自分だけじゃなかったんだ」と気づく瞬間は、孤立の殻を割ります。
似た痛みに触れるたび、橋が一本ずつかかっていきます。

5)古い物語をほどく
自分や他人から刷りこまれた決めつけを見直します。
「崩れている」のではなく、「うまく表せなかった叫び」だったのかもしれない。
言葉を取り戻すことは、力を取り戻すこと。

6)あたらしい共通の物語を編む
安全なつながりの中で、思い込みをたしかめ、視点を試します。
クライシスは傷として固定されるのではなく、変化をもたらした一章として物語におさまっていきます。

二つの見方、こんなふうにちがって見える

おわりに——とらわれから自由へ

クライシスを「恐ろしい檻」から「あたらしい自分への扉」へ。
鍵は特別な技術ではなく、わたしたちの関わり方そのもの――
相互性、思いやり、物語を分かち合う勇気にあります。

もし今、つらさのただ中にいるなら、ここに書いたどれか一つだけでも試してみてください。
深呼吸をして、「いちばん強い気持ちは、何を知らせているのだろう」と心に問いかける。
信頼できる誰かに、「何があったのか」を話してみる。
小さな一歩が、次の一歩を連れてきます。わたしたちは、学び、育ち合える仲間です。

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