こころの病を経験するとき、
私たちはよく「症状」に目を向けます。
眠れないこと。
不安が止まらないこと。
意欲が出ないこと。
でも、その奥にひっそりと横たわっているものがあります。
それが――
「自分には価値がある」という感覚です。
自尊心は、ただの気分ではありません。
それは、こころを守る「盾」のようなもの。
強い盾があれば、
批判や失敗に出会っても、
「それでも私は大丈夫」と踏みとどまれます。
けれど盾が傷ついていると、
ほんの小さな出来事でも、
深いダメージになってしまうのです。
「私はだめだ」という声は、どこから来るの?
多くの人が、こころの奥に
こんな声を抱えています。
「私は価値がない」
「私は愛されない」
「私は欠けている」
それは、あなたが弱いから生まれたのではありません。
過去の体験や、繰り返しの失敗、
周囲の言葉や態度の中で、
少しずつ形づくられてきたもの。
そしてその声は、
困難が起きるたびに強くなり、
私たちを守ろうとして
「やめておこう」「関わらないでおこう」と
回避させます。
それは怠けではなく、
傷つかないための必死の工夫なのです。
見えない壁 ― セルフスティグマ
ときに私たちは、
社会の偏見を自分の中に取り込んでしまいます。
「病気がある自分は劣っている」
「普通じゃない自分は価値がない」
でも、それはあなたの本質ではありません。
それは、社会の物語です。
あなたの物語ではありません。
自尊心が低くなると、
「どうせ無理だ」と感じ、
挑戦する前にあきらめてしまう。
けれど、それは能力がないからではなく、
傷ついた心が疲れているからです。
強みに目を向けるということ
長い間、医療は
「何ができないか」に焦点を当ててきました。
でも本当に力になるのは、
「あなたがすでに持っているもの」に気づくこと。
やさしさ。
粘り強さ。
ユーモア。
誰かを思う気持ち。
病気があっても、
それらは消えていません。
むしろ、困難をくぐったからこそ
育っている力もあります。
自分にやさしくするという選択
自尊心を無理に高めなくてもいい。
まずは、
苦しんでいる自分にこう言ってみてください。
「よくやっているよ」
「つらかったよね」
「それでも生きている」
それは甘えではありません。
それは、回復の入り口です。
支える側も、ひとりではない
家族や支援者の存在は、
自尊心の土台になります。
でも、支える人もまた人間です。
完璧でなくていい。
「分からない」と言っていい。
一緒に考えていい。
大切なのは、
否定しないこと。
急がせないこと。
存在を認めること。
結びに
こころの病を経験することは、
あなたの価値を奪いません。
自尊心は、失われたのではなく、
傷ついているだけ。
そして傷は、
関係の中で、
やさしさの中で、
少しずつ癒えていきます。
あなたは「症例」ではありません。
あなたは「問題」ではありません。
あなたは、
尊厳をもったひとりの人です。
そして、
回復は――
あなたの中から、すでに始まっています。
もしよければ、
いまのあなたに
どんな言葉をかけてあげたいですか?