東京でウェルネスとリカバリーをお互いに学ぶ

リカバリーにおける「力」の再定義

― 役に立つかどうかで測らない ―

「力」が評価や資源に変わるとき

日本の支援現場では、
「その人の強みを見ましょう」という言葉がよく使われる。

しかし実際には、

といった、
**支援や制度にとって“使いやすい力”**だけが
「強み」として拾われやすい。

当事者から見ると、

役に立つ力だけが評価され、
それ以外は見えないことにされている

という感覚が残る。


日本の現場で起きやすい「力のすり替え」

日本では、「力」が次のようにすり替えられやすい。

その結果、

は、「問題」や「未熟さ」として扱われてきた。

これは、
力を“価値ある行動”に限定してしまう見方である。


リカバリーの視点で捉え直す「力」

リカバリーにおける力とは、
成果を出す能力のことではない。

それは、

そのすべてに宿っている。

たとえそれが、

として現れていたとしても、
それはかつて必要だった生存の力である。


「問題行動」とされてきたものの中にある力

日本の現場では、
次のような行動が否定されやすい。

しかしリカバリーの視点では、
それらは多くの場合、

支配されないための力
再び傷つかないための知恵

として身につけられてきたものだ。

力とは、
きれいな形で現れるとは限らない。


力を「伸ばす」という言葉の危うさ

「その力を伸ばしましょう」
という言葉は、
一見前向きに聞こえる。

けれどそこには、

という期待が含まれることがある。

リカバリーにおける力は、
伸ばす前に、まず認められる必要がある。


支援者・制度に求められる姿勢

力をリカバリーの基盤として扱うなら、
支援者や制度に求められるのは、

力とは、
支援者が見つけて名付けるものではない。


力とリカバリーの関係

リカバリーが進むとは、
新しい力を獲得することではない。

それは、

である。

力は、
訓練で作られるものではなく、
すでにそこにあるものである。


まとめ(⑨の結論)

リカバリーにおける「力」とは、

役に立つかどうかではなく、
ここまで生き延びてきたという事実そのもの。

である。

力を評価や成果に回収したとき、
リカバリーは
再び人を測る仕組みに戻ってしまう。

だからこそ、
力とは伸ばす対象ではなく、
尊重され、語り直される存在でなければならない。

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