東京でウェルネスとリカバリーをお互いに学ぶ

⑩ リカバリーにおける「希望」の再定義

― 持たせない。否定しない。奪わない。―

希望は「前向きな目標」だけではない

リカバリーにおける希望は、
明るい未来を信じることや、
前向きな目標を語れることだけを指さない。

実際には、希望はもっと雑多で、
ときに重く、
ときに人に言えない形で現れる。

こうした願いもまた、
**深く傷ついた人の中に生まれる「希望のかけら」**である。


希望と「良い願い」を切り離す

日本の支援現場では、
希望はしばしば

形に限定されてきた。

しかしそれは、
支援者や制度が扱いやすい希望であって、
当事者の現実とは一致しないことが多い。

リカバリーの視点では、
希望は「正しい形」である必要はない。

希望とは、

これ以上、無力なままではいたくない
自分の尊厳を取り戻したい

という、
生き延びようとする力の表れである。


「復讐したい」という希望をどう扱うか

リカバリーは、
復讐を正当化することではない。
誰かを傷つける行為を推奨するものでもない。

けれど、

「復讐したいと思うほど傷ついた」という事実
そのものを否定しないことは、
リカバリーにとって決定的に重要である。

復讐心は多くの場合、

から生まれる。

それを
「危険」「未熟」「回復していない」と切り捨てると、
当事者は希望ごと沈黙する。

リカバリーとは、

その願いを語っても排除されず、
行為として実行しなくても済む選択肢を
関係の中で取り戻していく過程

である。


希望は「個人の内側に持たせるもの」ではない

希望は、
努力して持つものでも、
前向きに切り替えるものでもない。

希望は、

そうした安全な関係の中で、あとから芽を出すものである。

希望を「持て」と言われた瞬間、
希望は義務になり、
当事者を再び追い詰める。


支援者・制度に求められる姿勢

リカバリーにおける希望を支えるとは、

それは、

である。

希望とは、
支援の成果ではなく、
信頼が続いた結果として生まれる副産物である。


希望が生まれる瞬間は、とても静かだ

リカバリーの中で現れる希望は、
劇的でも、感動的でもない。

そんな経験の積み重ねの中で、

もしかしたら、
生き延び続けてもいいかもしれない

という、小さな感覚が残る。

それで十分だ。


⑩ 統合版・結論

リカバリーにおける「希望」とは、

明るい未来を信じることではなく、
どんな願いを抱いても、
人として関係から外されないという確信。

である。

希望は掲げるものではない。
測るものでもない。
管理するものでもない。

希望とは、
絶望や怒りや復讐心と並んで、
同じ場所に置いておけるもの
である。

そこに置いておけたとき、
人は初めて、
自分の人生を再び生き始める準備ができる。

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