― 持たせない。否定しない。奪わない。―
希望は「前向きな目標」だけではない
リカバリーにおける希望は、
明るい未来を信じることや、
前向きな目標を語れることだけを指さない。
実際には、希望はもっと雑多で、
ときに重く、
ときに人に言えない形で現れる。
- これ以上傷つきたくない
- 自分が間違っていなかったと証明したい
- 二度と踏みにじられたくない
- あの人に分からせたい
- 復讐したいと思ってしまうほど悔しい
こうした願いもまた、
**深く傷ついた人の中に生まれる「希望のかけら」**である。
希望と「良い願い」を切り離す
日本の支援現場では、
希望はしばしば
- 社会的に望ましい
- 前向き
- 危険でない
形に限定されてきた。
しかしそれは、
支援者や制度が扱いやすい希望であって、
当事者の現実とは一致しないことが多い。
リカバリーの視点では、
希望は「正しい形」である必要はない。
希望とは、
これ以上、無力なままではいたくない
自分の尊厳を取り戻したい
という、
生き延びようとする力の表れである。
「復讐したい」という希望をどう扱うか
リカバリーは、
復讐を正当化することではない。
誰かを傷つける行為を推奨するものでもない。
けれど、
「復讐したいと思うほど傷ついた」という事実
そのものを否定しないことは、
リカバリーにとって決定的に重要である。
復讐心は多くの場合、
- 無視され続けた痛み
- なかったことにされた被害
- 奪われた尊厳
から生まれる。
それを
「危険」「未熟」「回復していない」と切り捨てると、
当事者は希望ごと沈黙する。
リカバリーとは、
その願いを語っても排除されず、
行為として実行しなくても済む選択肢を
関係の中で取り戻していく過程
である。
希望は「個人の内側に持たせるもの」ではない
希望は、
努力して持つものでも、
前向きに切り替えるものでもない。
希望は、
- 希望がなくてもここにいていい
- 絶望しても関係が切れない
- 醜い願いを抱いても人として扱われる
そうした安全な関係の中で、あとから芽を出すものである。
希望を「持て」と言われた瞬間、
希望は義務になり、
当事者を再び追い詰める。
支援者・制度に求められる姿勢
リカバリーにおける希望を支えるとは、
- 希望を語らせることではない
- 前向きにさせることでもない
- 危険な感情をすぐに管理することでもない
それは、
- 希望がなくても関係を続けること
- 怒りや復讐心を「矯正」せずに聴くこと
- 希望の形を支援者が決めないこと
- 語られた願いを、すぐ行動管理に結びつけないこと
である。
希望とは、
支援の成果ではなく、
信頼が続いた結果として生まれる副産物である。
希望が生まれる瞬間は、とても静かだ
リカバリーの中で現れる希望は、
劇的でも、感動的でもない。
- 今日は何も決めなくてよかった
- 怒りを話しても大丈夫だった
- 復讐したい気持ちを言っても追い出されなかった
- 絶望している自分が否定されなかった
そんな経験の積み重ねの中で、
もしかしたら、
生き延び続けてもいいかもしれない
という、小さな感覚が残る。
それで十分だ。
⑩ 統合版・結論
リカバリーにおける「希望」とは、
明るい未来を信じることではなく、
どんな願いを抱いても、
人として関係から外されないという確信。
である。
希望は掲げるものではない。
測るものでもない。
管理するものでもない。
希望とは、
絶望や怒りや復讐心と並んで、
同じ場所に置いておけるものである。
そこに置いておけたとき、
人は初めて、
自分の人生を再び生き始める準備ができる。